EVENT \クレーンゲームが登場/スコア20点以上でソノヒグラシマスコット🎁【7/7まで】 INFO 🎋七夕の願い事を短冊メーカーで INFO 【配信者の方へ】ツイキャスで収益を得るには

いわゆる才能の問題と『私的所有論』

いわゆる才能の問題と『私的所有論』

 立岩真也先生の『私的所有論 第2版』と格闘しています。文庫本ながら1000ページ近い大著で、立岩社会学の本丸でしょう。同じ著者が中学生向けに書いた『増補新版 人間の条件 そんなものない』には、『私的所有論』が『源氏物語』みたいだとか、漫画版が欲しいと言われたことが書かれていました。ことほどさようにぐねぐねと難しい本ではあります。
 なぜ読むのかといえば、人様からうるさいほどに言われる「才能」ということについて、またより広く「できること・できないこと」について考えたいからです。私は幼稚園に入ったとき、他の子たちより駆けっこが遅いことで、祖父母や母から疎まれるようになりました。「体が駄目で、頭まで駄目なら、ぶっ殺すぞ!」と祖父に脅され、ひたすら勉学を頑張りましたが、群馬県一と謳われる進学校に首席で入学した直後に統合失調症を発症し、頭脳にも不可逆的なダメージを負ったまま、どうにか大検を経て大学は出ました。やらせてみたらできる→もっともっとやれ→力尽きる→おまえには失望した、というサイクルを繰り返してきた人生でした。
 同じことが2019年からのポエトリーリーディングでも起こりました。指導してくれた人は私の詩とその朗読を高く評価してくれましたが、「あなたはこの世界に美しいものを増し加えてゆける人なんだよ」とその人に言われたとき、大きなお世話だと正直思いました。「この人どこまで行くの?」と言われたときには、背筋が冷たくなりました。あなたはやればできると言われ、たしかに頑張ればできそうではあるが、しかし私はやりたくない、大してできない人として留まっていたいと返してはいけないのか?
 どうやら才能とか能力とか、できる・できないをめぐるこの社会の価値観は歪んでいる、少なくとも私を苦しめるようにできているという認識が、私を立岩社会学・生存学と出会わせました。
 できることをひたむきに磨いて、できるようになってゆく人は美しい。私はその美しさを否定しません。しかし一方で、仮に私になにか才能があるとして、それを磨かずにおくほうが楽であり、気持ちがよく、苦しまずに済むなら、私はさぼるという選択肢もありではないかと思えてならないのです。立岩先生の著作とともに、ぐねぐねとそんなことを考えています。私はとにかく余生を気楽に送って死にたいのです。

コメント