三浦春馬さんを偲ぶ会 2021/07/18 14:31 Share on Facebook Copy URL 檢舉 三浦春馬さんを偲ぶ会死にたいと言う人に死んだらだめだと言うだけの人は無責任だと思うの。死ぬなと言う人はその人が生きていきたいと思えるような世界であるように何か努力をしたのか。でも。生きてるのってつらいよねって軽はずみに共感して、ほんとにその人が死んでしまったら、残されたほうが今度は死にたくなっちゃう。だから。あなたが死んだらわたしは悲しいとしか言えない。いやそう言うのもきっと無責任だ。わたしはそんなことを言ったものの、その人が死んでしまってから10年経ったとき、当時と同じままの悲しみを抱えていないと思う。数年も経てばその人が生きてた頃と同じ生活を送ってたまに思い出したりするんだろうか。やっぱりわたしも無責任だ。だって。お父さんが死んでから3年も経ってないのに、わたしはよく笑い、よく食べ、よく寝る。お父さんが死んだ日はごはんなんか食べたくないと思ってたのに。お父さんが死んだ日は一睡もできなかったのに。今はごはんがおいしくて、たまにいい夢も見る。お父さんが死んだ日の悲しみをそのままずっと抱えてるわけではない。親の死ですら悲しみが薄れていくのに、他人様が死にたいと言っていて、亡くなられて、わたしの悲しみは時を経ることに薄れていって…そんなわたしが他人様の生死にとやかく言えない。そんなわたしが…死にたいなんて言うな。死んだらだめだ。あなたが死んだらわたしは悲しい。…なんて無責任なこと言えない。でも。やっぱりだれにも死んでほしくはなくて。だから『生きてることが辛いなら』を歌えるようになって、たまに歌おうと思います。本当は三浦春馬さんとわたしのお父さんの月命日の18日に歌いたい。でも。わたしは自分のことしか考えてないから来月の18日になったら『生きてることが辛いなら』を歌いますって言ったことなんて忘れてるかもしれない。うん。何が言いたいのかわかりません。でもできるだけ三浦春馬さんのことを忘れたくなくて。死にたいと言う人を追いつめるような真似はしたくないと思いました。いつもいつでも正しく生きていかなくてもいい。いつもいつでも笑顔でいる必要なんでない。だからできれば生きててほしい。2021年7月18日ものくろ